Yちゃんが、昨夕「生(せい)」のオブジェのライトアップイベントに参加してきたよとラインで写真を送ってきた。
昨年末にも、「生」の石積みオブジェ作りイベントに友だちと行ってきたと写真を見せてくれていた。
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「生」の石積みとは阪神淡路大震災から10年目の平成17年(2005)に「街と人と心の再生」を願って制作されたもので、それ以降、台風や大雨などによる増水により流されては作り直すことを繰り返し、現在は12代目の「生」が存在しています。
(宝塚市のホームページより)
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Yちゃんは震災当時もちろん生まれていないし、Yちゃんパパもその時はまだ学生だった。
私はまだ仕事をしていた。
27年経ったのだ。
Yちゃんのラインがきっかけになって
あの時の遠い記憶が今年はより多くよみがえってきた。宝塚の自宅マンションの揺れの凄まじさ、家具家財の壊れようの酷さに狼狽し、毎日毎日新聞を読んでは人びとの生き死にに涙を流していた。
職場では、その日家が倒壊し押しつぶされた階段に挟まれ、大怪我を負いながら出勤してきた上司の、必死な顔を思い出す。
まだボランティアなんて考えてもいなかったなあ。
自分がいざという時にどう行動したか、体がどうなったか。弱っちい自分をはっきり理解したよ。
オットクンや息子がどんなふうに動いたかも思い出すよ。
大事な"記憶"を胸の中から取り出してきて、
たまごを温めるように手のひらにのせて。