本当におもしろかった!
この本を読んだことは、
これからの私の世界の見方が変わるんじゃないか
と思うほどだ。
"土偶を読む"という本
"・・・たしかに土偶は文字ではない。しかしそれは無意味な粘土の人形(ヒトガタ)でもない。造形方法さえわかれば、'土偶は読むことができる'のである。つまり土偶は一つの'造形言語'であり、文字のなかった縄文時代における'神話表現の一様式'なのである。
そしてそこからひらかれる道は、はるか数万年前の人類の精神史へとつながっている。・・・"
著者はすぐれた人類学者だ。
考古学の専門家じゃない。
明治からずうっと研究されているのに
まだ何もわからないままの土偶の謎を
追っていく。
出会った"遮光器土偶"のただならぬ魅力にはまり、
"得た直感"を、じわじわと
一つ一つていねいに実証していく。
愉しくスリリングな
体をはって森や川へと出かけて行く作戦の積み重ね。
縄文脳インストール作戦^ ^
あらゆる関連書籍の気の遠くなるような読破。
そこにこれまでの考古学の成果の実証が加わり、
うーん、なるほどーー!
もう
すごい説得力が目の前に現れる。
おもしろいなぁ。
私が、田舎の大きな木に魅せられて
ふと木のまたにその姿を見つけ
産み出した"ぬう"(紙芝居の)という
キャラクターも
それにつながってるんじゃないか!
さっき、寝転んでるときに
はっとそう感じて、
起き上がってしまった^_^
著者の竹倉史人さんは言う。
"われわれはわれわれが思う以上に縄文人"
なのかもしれない。
彼はまた、現代人に対して大切なことを、
細切れ知性じゃなく"全体性"をみることを
私たちに教えてくれている。