"猫を棄てる・・・"を読んだ。
物語でなく、こうしてエッセイで父親のことを書くというのは
彼のなみなみならぬ覚悟を感じないわけにはいかないよ。
彼の70という年齢はそういう年なんだということか。
私自身について言えば、つい最近まで自分の年齢に(自分でもびっくりするくらい)まともには気づかなかった。
もうあまり時間を持っていないということが、じわりと、実感としてわかる。
「・・・言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを《受け継いでいく》という一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが《集合的な何かに置き換えられていくからこそ》、と。
・・・」
高い松の木に上がっていっておりられずそこにしっかりとしがみついている子猫の話で文は閉じられていく。
自分の生の展開の閉じ方に向かい合うなんて。
終わり近くの文を読んでいて、私の中に、あるメロディが、歌声がふと浮かんできた。
みゆきさんの"昔から雨が降ってくる"
だった。