はらっぱ日記

里山・はらっぱ育ちのもーちゃんです

父が笑う

そうか、父が亡くなってもう29年も経つんだ。
きのうは父の命日。
珍しくそれぞれの日程がうまく合って、わたしたち兄姉5人全員が久しぶりにふるさとの田舎の兄夫婦の家に集合した。
忙しくてなかなか田舎に来られない大阪の2番目の姉が、勝手口に入るなり、
「まんしょこりん(機嫌のよい父が兄を呼ぶときにときどき言ってた兄のニックネーム)、お久しぶり!」
と、第一声を放った。2番目の姉は
「あれっ?まんしょこりんってなぜか言ってしまったわ!わはははは、なんでそんなこと言うてしもたんやろ?!」
と言ったとき、5人全員が「へんてこ家族」の昔そのままの不思議世界に
持っていかれてしまった。
3人の姉たちとわたしは勝手口でげらげらぶかぶか笑いこけてしまって、
涙まで出てくる始末。


田舎の座敷にお義姉さんとわたしたち5人がテーブルを囲み、それからはとりとめないそれぞれの暮らしの話と笑い声が途切れることがなく、わたしなど話に首を突っ込む隙間もなく(^−^)・・実ははしゃいで騒いでたのはわたしがいちばんかも・・、お墓に行くことも忘れたように時間が過ぎて行った。
補聴器を新しくしたばかりのお義姉さんは3番目の姉と筆談器を使ってにこにこ話している。
そうだ、仏壇に行っておとうちゃんに挨拶しなきゃ。
そこでわたしはまた失敗。
仏壇のリンを鳴らそうとして、間違ってお線香たての縁をたたいてしまった。
「リーン」といい音が鳴る代わりに「ゴチ」と鈍い音がした。
そこでまたみんなが大爆笑してしまった。
父の笑顔が見えた気がした。
「おとうちゃん、ほんとうはどこにいるの?仏壇、お墓?それとも・・」
とひとりごとを言ったとき、父がわたしの左肩すぐそばにいるみたいな気がした。
それからみんな揃って、兄の車で近くの寺にあるお墓に参った。


父は青春ど真ん中、戦争の渦中にいた。
戦後の、お人よしな読書好きな、
柔和な目をした父は
わたしたちを育てるためにだけ生きた。